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性表現規制の文化史――日本とアメリカ(講師:白田秀彰)のまとめ

20110710

うぐいすリボン開催「性表現規制の文化史 ── 日本とアメリカ 講師:白田秀彰(法政大学准教授)に参加してきました。
講演内容はすごく濃くて、しかも面白く、3回くらいに分けてみっしりやっていただいても良かったのに! という充実っぷりでした。

以下、自分なりにまとめてみました。
いろいろ順番が入れ替わってたり端折ってしまった部分もありますが、大筋は押さえたつもり。

ちなみに実況はこちらにまとめてくださった分あるので、併せて参考にしてくださいませー。


日本に性表現を忌避する文化が導入された経緯

元々日本には自然信仰がベースとして存在し、来世に救いを求める啓示宗教は存在しなかった。
儒教道徳は存在したが、貞操観念を求められるのは上層階級に限られていた(その上層階級も、子供さえ作ってあとをとらせた後は、割とやりたい放題やっていた)。

それが明治期に開国という一大イベントが起こり、西洋列強に追いつくために文化基盤・宗教基盤の違いもすっ飛ばして文化や法制を導入することとなった。西洋でも庶民階層は日本と大して変わらない大らかさがあり、それなりにガス抜きをしていたのだが、明治政府のえらい人たちは庶民と触れ合うことが無く上層階級の、信仰に基づくキリスト教道徳に則った暮らしの上澄みだけを掬いあげて日本に持って帰ってきてしまったのである。




言葉の定義。猥褻とポルノは本質的に違う

猥褻とはある文化的価値観から見た場合に「嫌悪すべきもの」をさす。
つまり、反宗教的行為・反社会的行為がもっとも「猥褻」であることになる。
西洋においては階層社会が厳然と存在しており、上層階級には、財産継承のための制度や規範があり、そこから逸脱することは許されない。
(貴族間の不倫は「社交」「宮廷恋愛」で済むが身分違いの恋は嫌悪の対象。)



この文脈から分かるように、性的な事柄でなくとも猥褻判定されるのである。
それが次第に性的なものを表す時に使われるようになっていった。

また日本における法律上の「猥褻」は、憲法の保護下にない。犯罪なので、「猥褻である」との判決を受けるまでは本当は使うべきではない。

ポルノとは、売春婦(Prostitute)を指す言葉から派生した、性的行為の描写である。我々が性的刺激を受ける対象はかなり記号的。

この2つの言葉には厳然とした違いが存在するが、日本では混同されがち。


階級から説明される猥褻概念

上層階級(望ましい文化的階級)の、いわゆる継承する財産(土地・社会的地位・技能・信用等)がある人々。
男系社会において『自分の子供が確実に自分の血を引いているか』は、血統継承・財産継承において非常に重要であった。自分の妻たる女性の性的純潔は、産まれてくる子孫が確実に自分の血統を継承していることを担保にするため、価値がある。

一方、下層階級(不潔で否定されるべき猥褻な階級)は、そもそも相続する財産を持たない。
男性も女性も生きるために労働する。
血統の継承など考えてもいないので、純潔にも婚姻制度にも関心が低い。
(嫉妬心は存在する)

つまり、自分たちが必死で守ろうとしているものに関心を払わず、好き勝手をしている人々を指して「猥褻である」とした。
キリスト教的道徳観念を必要としたのは、上記の「上層階級」の、財産継承を必要とする人々である。


いかにして日本にキリスト教的な道徳が広まったか

①西洋列強に追いつけ追いこせの明治期、西洋の上層階級を目の当たりにした日本の政治家が、文化背景の違いも何もかもすっ飛ばして西洋の法制・文化を、それらを必要としなかった庶民にまで適用した。このときに春画や混浴、半裸での出歩きなどが取り締まられた。

②キリスト教系学校から移入した純潔観念。学校は、儒教道徳においてもキリスト教道徳においても、性的要素を排除した儀式空間であり、学校内においては性的であってはならなかった。キリスト教の学校は元が修道院であるからなおさら。

元々日本では読み書きそろばんができて上等、高等小学校を卒業していたら問題なし、という状況だったのが、次第に中学校教育、高等教育が普及していき「性的であってはならない」年齢が18歳にまで引きあがった。

③女子教育の浸透。明治期に女子教育を受けられるのは上層階級に属する、全体の約2割程度の数しか存在しなかった。女子教育で教えられるのは、儒教道徳及び武士以上の階級の社会道徳に基づいた純潔観念である。この教育によって「私たちは町にいて好き勝手に男と遊んでいるあの女達とは違うのよ!」という意識がふくらむ。その後、好景気によって本来、学校教育を受ける階層ではない子供が進学し始め、いわゆる「不良学生」が社会問題になる。
育った共同体で育んだ性規範と、学校側が要求する性規範が一致しないのだから、食い違いが起きるのは当然。

④銃後の守りとして戦時中に庶民にまで広まった良妻賢母の考え方。女性の純潔の価値は武家社会の価値観であったが、戦時中は日本全国が戦争に動員された。つまり、庶民階層の男達も武家と同じく家を離れて戦いに出た。家にいない間に他の男に妻をとられたら……となるとおちおち戦っていられない。そんな状況下で、武家社会の道徳が国民道徳として受け入れられ、定着していった。

下層階級にとって、上層階級の規範を要求されることは、階級上昇を意味した。

かつては処女が負担していた純潔性の神話を、現在は児童(18歳未満の!)が負担させられているのではないか?


抑圧される対象の変化

昔は階層社会であり、階層違いの恋は「猥褻」とされ排除された。
階層社会が曖昧になってくると、次は同性愛、主にゲイバッシングがおきた。
同性愛が認められ始めると、次は性的表現物が目の敵にされ始めた。
人は常に、排斥する対象を探しているようだ。次は……


日本の性表現規制の不思議
明治期以降の二重道徳について

上流階級
儒教道徳を表面的に維持しつつ、近代化によって解放された性的自由を裏面で謳歌していた。

下流階級
政府の意向で強制された儒教道徳に表面的に従いつつ、これまた裏面では江戸まで続いてきた日本の伝統的性規範に従っていた。

つまるところ儒教道徳もキリスト教倫理も大多数の日本人にとって外来であり異質なものであった。
日本において「公式」の「良俗」は架空のものであったにも関わらず、それが公式であるがゆえに法的制度的に強制され、それに従うことが良民の証とされた。

性関連取締規定は、架空に過ぎない「良俗」を維持することが目的である。これを強制することで日本の性規範は過度に厳格にはなっていないか。そもそも、こんな規範を守って幸せになれるのか。厳格すぎてかえって社会に歪みをもたらしてはいないか。

法制度が主張する一見、論理的に見える事実と社会的事実が食い違いすぎている。なぜそこに目を向けないのか。


統制品市場の創設

禁止されれば、欲しくなる心理。
つまり統制品市場ができるのである。
この市場は反社会組織の財源になる。さらに反社会組織が上層階級と結びつくことで、お上公認の「禁止商品」が産まれ、禁止されるが故に商品の価値が高騰し、これによって搾取構造が作り出される。

たとえば自由な性交渉を禁じる一方で政府公認の遊郭を作ることによって、性産業が税収に結びつく。

かつて性交は、庶民にとってもっとも安価で楽しめる娯楽であった(それゆえに猥褻とされた)ことを想起せよ。


アメリカにおける議会と司法の立場

議会
議会は法案を出すのが仕事。
しかも分達を支持してくれる人たちの希望に添った法案を出す。
いやこれ無理だろ、憲法的にアウトだろどう考えても! と議員さんが思ってたとしても、とりあえず形にして提出するのが支持者へのサービスでもある。だから、表現規制でも割とめちゃくちゃな法案が大真面目に提出されたりする。

で、出しまくってもほとんどがぽしゃる。でもたまにうっかり通っちゃってえらいことになる。でも速攻で違憲裁判になって最高裁で違憲判決が出て潰される、というようなことを繰り返している。

司法
性表現規制に合理性を求めた。
(1868年ヒックリン基準)
・その出版物の刑事法上の性格が、言外にある、猥褻ではない真摯な目的の存在によって左右され制限されるものではない。
・猥褻だとして問題とされている物件が、反道徳的影響を受けやすく、その種の出版物を手に入れる可能性のある人々を、堕落させ頽廃させるかどうか。

つまり、ホントに悪影響を受けるの? それ証明できる? 証明できないなら規制なんてできないんだからね! ということ。司法は理性的。

ただ、第二次世界大戦まで、猥褻表現規制に関する憲法判断自体が少なく、また詳細な考察をしないまま合憲性を肯定する傾向が続く。


絶対に根絶できない違法表現カテゴリを維持することで、
表現への介入手段を保持したいという統治上の目的がある。


摘発主体は、摘発されるべき存在を必要とする。
犯罪者がいなくなったら警察の存在意義が無くなるのと同レベルの話。

本当に情報統制が必要になったとき(原発が爆発したときとか!)それを担う組織が無いと困る。というロジック。

しかし「表現の自由」を憲法が保障している以上「子供に見せるべきでない」以外の理由では表現を規制できない。

政教分離の原則はもちろん、性表現の抑制は個人の内心の自由に係る問題である。これを法によって禁じることは、憲法が禁じている思想・信条の自由への国家介入を間接的に達成する政策であるり、憲法に抵触する。

つまり、青少年の健全な育成を口実にでもしない限り、表現を規制することは不可能なのである。

(アメリカの話)
成人の性に関する自己決定権の考え方が定着してしまった以上、成人についての性表現規制を強化することは困難である。

しかし、青少年の性表現規制について、社会は容認的だった。なぜなら、青少年を「健全」に育成することができれば、いずれ社会の性規範は強化され、社会の一般認識を基礎とする方もまた変更される、と保守派は考えた(と思われる)

それぞれの思惑がいろいろとあるわけですね。


1911年にTheodore Schroederによって提言された素晴らしい内容

言論の自由は実害のない限り保障されるのであり、実害のない猥褻表現を規制する連邦郵便法や州法は、合衆国憲法修正第一条や州憲法に違反し無効である。また、規制法は、猥褻か否かの判断基準を明示しておらず、憲法の適正手続条項に違反している。猥褻性は、その表現の客観的性質ではなく、猥褻か否かはもっぱら読者の主観によって決せられるものである。したがって、いかなる判断基準をたてようとしても、判断者によってまちまちになることは避けようがない。


以上。
長くなりましたが、本物の講演はもっと濃かったのですよー!
参考になれば幸いです。

コメント

レポート多謝です!

このイベントの開催を知ってはいたのですが、別の用事もあり、そもそも自宅から遠い場所での開催なので行く事が出来ず…どなたか参加された方の感想を伺う事が出来たら…と思っておりました。とても有益なレポート、どうも有難うございました。
勉強になるというか、内容が濃い印象で、まだまだ知らない事が一杯あるなぁためになるなぁ…と、拝読しての感想であります。
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どこにでもいるような本読み。数年前に社会人になったときに、本の値段は見ずに買うことを誓いました。auのISO5が早く欲しいです。

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