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ニッポンには対話がない

20120320

ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生
北川 達夫 平田 オリザ

三省堂 2008-04
売り上げランキング : 10546

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日本人て議論が苦手だよねーっていう話をしていたらtwitterでフォロワーさんにお勧めして貰って、気になったので買って読みました。
フィンランドの教育現場ではどういう事が行われているのかとか、そういう教育をベースにした対談本なのですが、学校教育という枠を越えて考えさせられる本です。
想像以上に面白くて、一気に読んでしまいました。

表現規制問題を触っていると特に感じるのですが、とにかく相手をねじ伏せたい、(規制派・反対派問わず)こちら側に翻意させたいという意志が強すぎて、議論にならないことが多いんです。
ハナから相手の言い分に聞く耳を持たないものだから、議論というより不毛な殴り合いみたいになることが本当に多い。
相手を尊重して話し合うっていうのが成立しているのをあまり見かけません。

これは規制問題だけではなく、内輪の反対派の中でもそうです。
同じ傾倒の趣味嗜好を持つ内輪ですら、対話が成立しないことが間々あります。

意見の摺り合わせとか、話し合いを重ねて妥協点を探るとか、そういう練習をする機会がほとんどないことも大きな原因なんだろうなと思っていました。
まさにそういう面も大きいと思います。
要は慣れてない・圧倒的に経験不足なんですよね……。


なぜ自分の意見は受け入れられないんだろう?
どうして議論が成立しないんだろう?
そういうもどかしい気分になったことがある人は読んでみると良いかもしれません。

●どんなに大切で美しいメッセージを含んだ表現であっても、対話のプロセスがなければ、人を説得する力は生まれない。

●妥協することはマイナスではない。
互いの意見を衝突させて、前向きに「妥協点」を見出していくことこそ、対話の最高到達点。

●どちらが勝つか負けるかではなく、互いの考えが変わっていくことを前提として話し合う。

帯とキャプションを一部抜粋してみましたが、ここだけ読んでも頷くところが沢山ありました。
改めて、対話って大切なことだと感じさせられた本です。
これは本当にお勧め。
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電子書籍の自主規制と版元&作家の対応

20110715

DLsite.comがマジで終わってる件。お前ら別のサイトに変えたほうがいい

上記リンク先から、電子書籍の自主規制が結構深刻なんだなと言うのがわかります。今回名前が挙がったのが「DLsite.com」という同人誌のDLショップです。
(国内最大級のオタクコンテンツ総合ダウンロードショップってサイトに書いてあった)

どうやら文章に検閲が入ったらしい。
しかも読んでみると、18禁扱いのコンテンツだというのに、文章の表現の仕方を取り上げてNG、審査して弾いています。

あの悪名高い都条例ですら「売り場を分けるだけ」「書いてはいけないとは言ってない」との建て前を崩していないというのに、たかが1ショップが作者に、しかも成年向け文章表現に検閲削除を求めているわけです


とはいえ、デジタルコンテンツの自主規制自体は今に始まった話ではなく、何年も前からケータイ端末のフィルタリングからデジタルコミック協議会の自主規制ガイドラインなど様々な形で行われてきました。
コミックスや小説の二次元作品だけではなく、実写の際どい写真集などにも、デジタル化できない作品が多いようです。

紙の書籍ではOKなのにデジタルコンテンツにしたら販売できないというこの状況は脅威です。


まだ今は売り上げ的には概ね 紙媒体>電子書籍 という状況だと思います。
しかしこの状況は今後どんどん、差を縮めて、電子書籍の占める割合が増えていくことが予想されます。
何十年かあとには逆転しているかもしれません。
そうなったとき、紙より厳しい規制に晒される表現はどうなるのか、考えるだけで怖いです。電子書籍がそこまで力をつけたらもう手遅れです。

流れを変えるなら今ですよ。

ここで頑張っておかないと後々、絶対後悔することになると思います。
リンク先の作者さんはDLsite.comの審査にはねられて、審査に通るように内容を変更しようとしているように見えます。
審査に通らなかったらDLsite.comでの売上がゼロですし、そこでしかDLしない読者さんもいるでしょう。
でも、敢えて言う。

作者のその態度が販売サイトを増長させるのです。

一般向けで出して「過激なので成年指定にしてください」なら分からなくもないです。でも、18禁なんですよ。
放送禁止用語的な単語でも無い限り、言葉尻をとらえてあれこれ言われる筋合いなんか本来ないはずです。
そこで折れないでほしい。

「四の五の言うならあなたのサイトではDL販売しないから!」

って言い放ってほしい。
理不尽と思える自主規制をするサイトに折れ続けたら、それがいつしかスタンダードになっていく可能性が高いです。
この作者だけじゃない、これを見て「え!?」って思った作者が軒並み自分の作品を引き上げれば良いんです。
1人や2人の作家が取引を止めたところでDLサイトの懐は痛まないかもしれません。
でもこれが10人、20人になって、稼ぎ頭の大手サークルやビッグネームの作家がどんどん作品を出さなくなっていったら、ユーザーも離れます。
当然売り上げも下がります、立ち行かなくなったら潰れるしかありません。

これ、言えるのは作家さんだけです。プロもアマも一緒。
出版社は著作権を保有しているわけではないので、作家さんが「売るな」って言ったら売れません。
(たまに、謎のお金が振り込まれたと思ったらいつの間にか昔の作品が電子書籍になってた! みたいな作家さんの話を聞くとくらくらしますが……)
とにかく原則、作家さんが売らないって言ったら売れません、そのはずです。


逆に、年齢確認とかゾーニングは徹底するけど内容自体に規制は掛けませんって標榜する電子書籍DLサービスが出てきたら、そこを応援して積極的に作品を出していけばいい。
電子書籍はまだそんなに売り上げとしてたいした数字にならないからとりあえず言われるまま修正して出しておけばOK、それで多少数字が伸びるんだから、なんて対応は危険です。
自分の墓穴をブルドーザーで掘った挙げ句に穴がでかすぎて周りの人々まで一緒に埋まってしまいました、なんてことに本気でなってしまいます。

あと読者の立場で言わせてもらえば、こんなむちゃくちゃな検閲するDLサイト、他の作品にも無遠慮に審査して赤入れてるんでしょ、本来の作品と変わってるんでしょ、そんなのに金払いたくないよ! っていう気持ちがあります。

ここでDLしてくれる読者もいるから……っていう気持ちもあると思います。
でも本来提供しようと思っていた内容じゃないものを売る方が、読者に対して誠実じゃないのではないですか?
少なくとも私は、もうDLsite.comは利用しないです。
すごく好きなBL作家さんが「ここでしか読めない」って鳴り物入りで作品を出しても絶対に買いません。
読者は、意見を言う他には、買うことと買わないことでしか意思表示ができないので、買わないことでそのサイトの方針にNOを言います。


表現規制に関して、出版社が行動しない、飯の種なのに他人のフンドシで相撲を取ってぼけっとしてる!
という意見もちらほら見えますし、私もそろそろ、版元さん具体的に動いてくれないかしらと思うところはあります。
でも、冷静に考えれば、実は出版社ってそんなに強くないんですよね……。
会社の規模にもよりますが、そもそも出版界全体で王手と呼べる版元がいくつあるのか。ほとんどが中小企業クラスです。
著作権も持ってません。彼らが行使できるのは基本的に出版権だけです。
そして単体で真っ向から権力に喧嘩をふっかけて目をつけられて、あれもこれもと有害指定されたら、割とあっさり潰れると思います。
誰がなんと言おうと、版元単体ではなかなかがんばれない。
できるなら大小問わず版元が結託するのが良いと思うんですが、先日の自粛案を見ているとそれも結構厳しそうです。

単体でがんばってる版元さんもあります。
電子書籍のDL販売サイトで、ジャンル自体を包括指定して内容の如何に関わらず「18禁」扱いしようとした所があったのですが、その際にその版元は指定されたジャンルの作品を丸ごとDL販売サイトから引き上げています。
すごい英断だと思いました。
数字的に痛い部分もあるに違いないのに、それをした。
個人的にすごく応援したいし、しています。

表現規制において、版元が頑張るにはどういう状況が必要か。
たとえば今書いたDLサイトからの作品引き上げ、これは作家さんに断りを入れる必要がある判断です。
(実際どういう動きだったのか(先に断ったのか事後報告だったのかとか)は外からは分かりませんが)
作品に関して、その作者である作家が動けば、版元も連動して動かざるを得ないでしょう。
これも作家さんと版元さんの力関係が大きく作用しそうですが……

BLなら、BLの大物作家さんを含めて多数の作家さんがまとまって○○に反対する、ここのDLサイトには作品を出さない! という態度を表明して、その動きが業界全体に広がれば、版元さんも腰を上げざるを得ない部分は大きいと思います。
(BL業界って、まだ全体的に、成年向け(男性向け)の作家さんに比べたら、表現規制に関して意識してる作家さんが少ない印象)
基本的に、作家は出版社に雇われているわけではありません。
専属契約とかはまた別なのかもしれませんが、ほとんどの作家はそういう仕事の仕方をしていないはずです。
版元が商品である「作品」を作家に「発注」して「納品」(しかも納品後も著作権は作家のもの)してもらう。
つまり、クライアント、取引相手なわけです。
大口の取引先が商品引き上げる! ってなったら版元じゃなくてもどこの会社でも営業担当がすっ飛んでいって事情を聞いてなだめてすかしてなんとかしようとするものです。
まあ、これが力関係に寄るところで、あっさり切り捨てられる可能性もあるわけですが……。
しかしとりあえず「出版業界」の中心にいるのは誰かといったら、これは私は作家さんだと思うのですね。
多くの支持を集める作家が強い、という理屈でいけば、最強なのはその「強い作家」を作り出す読者――つまり消費者というところに話が行き着くのですが……。


色々複雑ですが、じっくり考えれば考えるほど、版元だけではがんばれないし、作家だけでもできることには限界があることが分かってしまいます。
「みんなで一緒にがんばろう」っていうのが責任回避の言い訳になったり、結局誰もが「誰かががんばる」ってなって動かないという状況に陥りやすいことも分かるんですが、それでも協力体制は築いていかないと、何かを責めるだけではどうしようもない問題になってきたな、と考えています。

なかなか一枚岩になれない表現規制反対派ですが、味方を増やしていく努力は必須です。とりあえず、デジタルコンテンツの自主規制には、ここで歯止めを掛けたいところです。

性表現規制の文化史――日本とアメリカ(講師:白田秀彰)のまとめ

20110710

うぐいすリボン開催「性表現規制の文化史 ── 日本とアメリカ 講師:白田秀彰(法政大学准教授)に参加してきました。
講演内容はすごく濃くて、しかも面白く、3回くらいに分けてみっしりやっていただいても良かったのに! という充実っぷりでした。

以下、自分なりにまとめてみました。
いろいろ順番が入れ替わってたり端折ってしまった部分もありますが、大筋は押さえたつもり。

ちなみに実況はこちらにまとめてくださった分あるので、併せて参考にしてくださいませー。


日本に性表現を忌避する文化が導入された経緯

元々日本には自然信仰がベースとして存在し、来世に救いを求める啓示宗教は存在しなかった。
儒教道徳は存在したが、貞操観念を求められるのは上層階級に限られていた(その上層階級も、子供さえ作ってあとをとらせた後は、割とやりたい放題やっていた)。

それが明治期に開国という一大イベントが起こり、西洋列強に追いつくために文化基盤・宗教基盤の違いもすっ飛ばして文化や法制を導入することとなった。西洋でも庶民階層は日本と大して変わらない大らかさがあり、それなりにガス抜きをしていたのだが、明治政府のえらい人たちは庶民と触れ合うことが無く上層階級の、信仰に基づくキリスト教道徳に則った暮らしの上澄みだけを掬いあげて日本に持って帰ってきてしまったのである。




言葉の定義。猥褻とポルノは本質的に違う

猥褻とはある文化的価値観から見た場合に「嫌悪すべきもの」をさす。
つまり、反宗教的行為・反社会的行為がもっとも「猥褻」であることになる。
西洋においては階層社会が厳然と存在しており、上層階級には、財産継承のための制度や規範があり、そこから逸脱することは許されない。
(貴族間の不倫は「社交」「宮廷恋愛」で済むが身分違いの恋は嫌悪の対象。)



この文脈から分かるように、性的な事柄でなくとも猥褻判定されるのである。
それが次第に性的なものを表す時に使われるようになっていった。

また日本における法律上の「猥褻」は、憲法の保護下にない。犯罪なので、「猥褻である」との判決を受けるまでは本当は使うべきではない。

ポルノとは、売春婦(Prostitute)を指す言葉から派生した、性的行為の描写である。我々が性的刺激を受ける対象はかなり記号的。

この2つの言葉には厳然とした違いが存在するが、日本では混同されがち。


階級から説明される猥褻概念

上層階級(望ましい文化的階級)の、いわゆる継承する財産(土地・社会的地位・技能・信用等)がある人々。
男系社会において『自分の子供が確実に自分の血を引いているか』は、血統継承・財産継承において非常に重要であった。自分の妻たる女性の性的純潔は、産まれてくる子孫が確実に自分の血統を継承していることを担保にするため、価値がある。

一方、下層階級(不潔で否定されるべき猥褻な階級)は、そもそも相続する財産を持たない。
男性も女性も生きるために労働する。
血統の継承など考えてもいないので、純潔にも婚姻制度にも関心が低い。
(嫉妬心は存在する)

つまり、自分たちが必死で守ろうとしているものに関心を払わず、好き勝手をしている人々を指して「猥褻である」とした。
キリスト教的道徳観念を必要としたのは、上記の「上層階級」の、財産継承を必要とする人々である。


いかにして日本にキリスト教的な道徳が広まったか

①西洋列強に追いつけ追いこせの明治期、西洋の上層階級を目の当たりにした日本の政治家が、文化背景の違いも何もかもすっ飛ばして西洋の法制・文化を、それらを必要としなかった庶民にまで適用した。このときに春画や混浴、半裸での出歩きなどが取り締まられた。

②キリスト教系学校から移入した純潔観念。学校は、儒教道徳においてもキリスト教道徳においても、性的要素を排除した儀式空間であり、学校内においては性的であってはならなかった。キリスト教の学校は元が修道院であるからなおさら。

元々日本では読み書きそろばんができて上等、高等小学校を卒業していたら問題なし、という状況だったのが、次第に中学校教育、高等教育が普及していき「性的であってはならない」年齢が18歳にまで引きあがった。

③女子教育の浸透。明治期に女子教育を受けられるのは上層階級に属する、全体の約2割程度の数しか存在しなかった。女子教育で教えられるのは、儒教道徳及び武士以上の階級の社会道徳に基づいた純潔観念である。この教育によって「私たちは町にいて好き勝手に男と遊んでいるあの女達とは違うのよ!」という意識がふくらむ。その後、好景気によって本来、学校教育を受ける階層ではない子供が進学し始め、いわゆる「不良学生」が社会問題になる。
育った共同体で育んだ性規範と、学校側が要求する性規範が一致しないのだから、食い違いが起きるのは当然。

④銃後の守りとして戦時中に庶民にまで広まった良妻賢母の考え方。女性の純潔の価値は武家社会の価値観であったが、戦時中は日本全国が戦争に動員された。つまり、庶民階層の男達も武家と同じく家を離れて戦いに出た。家にいない間に他の男に妻をとられたら……となるとおちおち戦っていられない。そんな状況下で、武家社会の道徳が国民道徳として受け入れられ、定着していった。

下層階級にとって、上層階級の規範を要求されることは、階級上昇を意味した。

かつては処女が負担していた純潔性の神話を、現在は児童(18歳未満の!)が負担させられているのではないか?


抑圧される対象の変化

昔は階層社会であり、階層違いの恋は「猥褻」とされ排除された。
階層社会が曖昧になってくると、次は同性愛、主にゲイバッシングがおきた。
同性愛が認められ始めると、次は性的表現物が目の敵にされ始めた。
人は常に、排斥する対象を探しているようだ。次は……


日本の性表現規制の不思議
明治期以降の二重道徳について

上流階級
儒教道徳を表面的に維持しつつ、近代化によって解放された性的自由を裏面で謳歌していた。

下流階級
政府の意向で強制された儒教道徳に表面的に従いつつ、これまた裏面では江戸まで続いてきた日本の伝統的性規範に従っていた。

つまるところ儒教道徳もキリスト教倫理も大多数の日本人にとって外来であり異質なものであった。
日本において「公式」の「良俗」は架空のものであったにも関わらず、それが公式であるがゆえに法的制度的に強制され、それに従うことが良民の証とされた。

性関連取締規定は、架空に過ぎない「良俗」を維持することが目的である。これを強制することで日本の性規範は過度に厳格にはなっていないか。そもそも、こんな規範を守って幸せになれるのか。厳格すぎてかえって社会に歪みをもたらしてはいないか。

法制度が主張する一見、論理的に見える事実と社会的事実が食い違いすぎている。なぜそこに目を向けないのか。


統制品市場の創設

禁止されれば、欲しくなる心理。
つまり統制品市場ができるのである。
この市場は反社会組織の財源になる。さらに反社会組織が上層階級と結びつくことで、お上公認の「禁止商品」が産まれ、禁止されるが故に商品の価値が高騰し、これによって搾取構造が作り出される。

たとえば自由な性交渉を禁じる一方で政府公認の遊郭を作ることによって、性産業が税収に結びつく。

かつて性交は、庶民にとってもっとも安価で楽しめる娯楽であった(それゆえに猥褻とされた)ことを想起せよ。


アメリカにおける議会と司法の立場

議会
議会は法案を出すのが仕事。
しかも分達を支持してくれる人たちの希望に添った法案を出す。
いやこれ無理だろ、憲法的にアウトだろどう考えても! と議員さんが思ってたとしても、とりあえず形にして提出するのが支持者へのサービスでもある。だから、表現規制でも割とめちゃくちゃな法案が大真面目に提出されたりする。

で、出しまくってもほとんどがぽしゃる。でもたまにうっかり通っちゃってえらいことになる。でも速攻で違憲裁判になって最高裁で違憲判決が出て潰される、というようなことを繰り返している。

司法
性表現規制に合理性を求めた。
(1868年ヒックリン基準)
・その出版物の刑事法上の性格が、言外にある、猥褻ではない真摯な目的の存在によって左右され制限されるものではない。
・猥褻だとして問題とされている物件が、反道徳的影響を受けやすく、その種の出版物を手に入れる可能性のある人々を、堕落させ頽廃させるかどうか。

つまり、ホントに悪影響を受けるの? それ証明できる? 証明できないなら規制なんてできないんだからね! ということ。司法は理性的。

ただ、第二次世界大戦まで、猥褻表現規制に関する憲法判断自体が少なく、また詳細な考察をしないまま合憲性を肯定する傾向が続く。


絶対に根絶できない違法表現カテゴリを維持することで、
表現への介入手段を保持したいという統治上の目的がある。


摘発主体は、摘発されるべき存在を必要とする。
犯罪者がいなくなったら警察の存在意義が無くなるのと同レベルの話。

本当に情報統制が必要になったとき(原発が爆発したときとか!)それを担う組織が無いと困る。というロジック。

しかし「表現の自由」を憲法が保障している以上「子供に見せるべきでない」以外の理由では表現を規制できない。

政教分離の原則はもちろん、性表現の抑制は個人の内心の自由に係る問題である。これを法によって禁じることは、憲法が禁じている思想・信条の自由への国家介入を間接的に達成する政策であるり、憲法に抵触する。

つまり、青少年の健全な育成を口実にでもしない限り、表現を規制することは不可能なのである。

(アメリカの話)
成人の性に関する自己決定権の考え方が定着してしまった以上、成人についての性表現規制を強化することは困難である。

しかし、青少年の性表現規制について、社会は容認的だった。なぜなら、青少年を「健全」に育成することができれば、いずれ社会の性規範は強化され、社会の一般認識を基礎とする方もまた変更される、と保守派は考えた(と思われる)

それぞれの思惑がいろいろとあるわけですね。


1911年にTheodore Schroederによって提言された素晴らしい内容

言論の自由は実害のない限り保障されるのであり、実害のない猥褻表現を規制する連邦郵便法や州法は、合衆国憲法修正第一条や州憲法に違反し無効である。また、規制法は、猥褻か否かの判断基準を明示しておらず、憲法の適正手続条項に違反している。猥褻性は、その表現の客観的性質ではなく、猥褻か否かはもっぱら読者の主観によって決せられるものである。したがって、いかなる判断基準をたてようとしても、判断者によってまちまちになることは避けようがない。


以上。
長くなりましたが、本物の講演はもっと濃かったのですよー!
参考になれば幸いです。

【表現規制】反対方法のステップアップ

20110625

今回の児ポ法改正案提出について。
自公が電撃作戦に出て、あわや民主も同意してそのまま自公案丸呑みで単純所持規制か!?
という非常に危なっかしい状況でした。
児童ポルノ禁止法改正案、自・公が今国会提出へ

具体的にどれくらい電撃だったのでしょうか。
ちょっと山口弁護士のツイートを引用してみます。

表現規制反対運動で求められるスピードは早くなりました。規制推進派は、院内集会告知→院内集会→法務部会可決→通常30日の工程を72時間に短縮しています。業界団体が動くには最短でも1週間から2週間はかかり、出版関係はもっと遅いでしょう。
山口弁護士のツイッターより

訂正ツイート「法務部会可決」→「法務部会で可決させる」の間違いです。これは、規制推進派の目論見であり、未だに、可決はされていません。
山口弁護士のツイッターより


そう、約72時間。
だいたい3日くらいで大勢が決してしまうくらいのスピーディーさです。

そんな状況の中、普段から政治家の方々と繋がりのない規制反対派にできるのはメールか電話くらいしかありませんでした。実際、各議員さんの元にはかなりの数のメールが届いていたようです。
しかし、この【大量のメール】が問題でした。
反対派としては『必死のお願い』であるメールも、かえって逆効果になる場合があるのです。
この点について、民主党の宮崎タケシ議員が非常に貴重な意見をくださっています。
以下、少し長いですが宮崎議員のツイートを引用します。

児ポ自公案に反対というメールを大量に頂いている。他の議員にも大量に届いているようだ。とはいえ、逆効果にしかなっていないのは誠に残念だ。

たとえ議員でも顔の見えない、縁もゆかりもない方から、同趣旨のメールを大量に貰ったらどう感じます?いくら理性的な文面でも RT @watts_1898: 理由はなんでしょうか。書き方の問題ですか? RT @MIYAZAKI_Takesh 逆効果にしかなっていないのは誠に残念だ

実際、コン研の方の依頼で、法務委理事に面会を申し込んだところ「もう大量に(メール等)貰って内容は分かっている。今さら聞くこともないでしょう」と。「変わった人」扱い RT @sraiman02: じゃあどういう行動をすれば?RT @hiroujin: パニックメールは逆効果だ!

政治運動として大量の手紙やメールという手法を使う人たちは現実にほぼ限られてます。例えば共産系の団体、宗教団体、極端に右寄りの人たち。手法が道徳的に悪いわけではないが、民主や自民への働きかけ方として効果は??? RT @sraiman02: じゃあどういう行動をすれば?

全国からコピペメールが来ても?それに現実として、この件は票になりません。逆です。真逆です。票を減らす覚悟がある人だけが発言しています。だから味方が少ないし、増えないのです RT @zatuyou_jp: そういう感じ方にも問題はありますがね。政治家なら「票になるかも」と考え

読みますよ。でも、賛同するかどうか、納得するかどうかは別。手軽に送ったものは手軽に扱われても仕方ありません。訴える人の体温を感じなくては、政治家だけでなく人間は動きません RT @watts_1898: 有難うございます。都条例騒動を彷彿とさせます。しかし、住所氏名が

私が積極的なのはコン研の方など数人と生身の付き合いがあったり、作家としてお世話になった編集長さんらに意見を聞いているからで、ネットだけの要請なら政治行動まではやらないのが正直なところです RT @zatuyou_jp: @Watts_1898 少なくともこうやって

メールをくださった方々には失礼なことも申し上げましたが、「過ぎたるは及ばざるが如し」で、受け手の印象も考えなければなりません。これも皆さんに活動の成果を上げて頂きたいとの思いからですので、お許しいただきたく存じます。ご協力はいたします。
宮崎タケシ議員のツイッターより


※引用中にある「RT」とは、誰かが宮崎議員に話しかけた言葉を、宮崎議員が引用する際につける記号です。なんとなくやりとりにになっているのがわかるかと思います。ただ、twitterに慣れていない方にはちょっとわかりにくいかもしれません。上記引用では宮崎タケシ議員の発言のみ太字にしてあります。
全体的な流れはこちらにまとめましたので、よろしければご覧ください。
表現規制反対時における政治家との関わり方・運動のあり方など


さて、ここからが本題です。
議員さんというのは、基本的に支持者の意見に耳を傾け、それらの意見を国政に反映させるのがお仕事のひとつです。なので、どんな形であれ届けられた意見に目を通して政治現場に活かすべきである! というのは正論ではあります。
しかし、議員さんだって人間です。
いきなり見知らぬ(それこそ顔も名前も性別も分からず、そこに記されたその相手の情報も本当か分からない)大量の人から「児ポ法改正に反対してください! もう時間がないのです!!」というようなメールがバンバン届いたら、いくら仕事のうちでも、そりゃ困惑するでしょう。
ちょっと自分の身に置き換えてみてください。

会社であなたは毎日、通常業務をこなしています。
人手が足り無くて残業が続くこともしばしばです。
そんな中、今まさに手がけている仕事が世間から脚光を浴び、その仕事内容に関するメールが会社宛に数十、数百単位で届きはじめます。
丁寧なものから一方的なもの、短いの長いの千差万別ですが、一様に「この案件はとても重要で私たちの生活にも関わってくるからしっかりやっていただきたい、こうした方が良い、いやああするべきだ!」というような内容が書き綴られています。
もちろん、会社宛に届いても自分の仕事の範囲なので事務担当の人間は大量のメールを転送なりプリントアウトなりして毎日持ってきてくれます。
「もういい、同じような内容ばかりだからそっちで処理しておいてよ!」
ってなりませんか。たぶん、私ならなります。
外面はとても大事なので「送っていただいても大丈夫ですよ、貴重なご意見ありがとうございます。感謝しています」ってだいたいの社会人や会社は対応しますけれど、内部でのそれらのメールの扱いがどうなるかは想像してみてください。

もちろん、本当に真剣に全部目を通して真摯に対応しようとしてくださる議員さんもいるのでしょうが、それだって限界があるはずです。
初めてのコンタクトがメールで、その内容がお願いで、1件や2件ならともかく大量で……恐らく読むだけでもかなり大変です。


まず、私たちは「政治活動におけるネットの立ち位置は非常に弱い」という点について自覚する必要があります。
誰がなんと言おうと弱いのです、たぶん最弱です。
現役の議員さんは、ネットになじみの薄い方が多いのです。
それでも世間の流れに従って、ネット社会に参加しようと頑張ってくださる方が増えていますが、それは努力の賜です。

息をするようにネットの海を泳ぎ、会話の延長でチャットやメールをし、生活の一部としてtwitterを使い、日記の代わりにブログを綴り、主婦の井戸端会議や飲み会での愚痴と同じスタンスで掲示板で発言する、そんな世代が政治の舞台に立つには、まだ軽く10年以上かかるでしょう。

結局のところ、政治は生身の人対人です。
議員さんにとって、自分の理想や方針はとても大切ですが、自分の活動が次の選挙で票に結びつくかどうかもかなり重要です。票にならない仕事ばっかりしてたら、次の選挙で失業してしまいますから当然です。
そして現状、誠に遺憾ながら表現規制反対は票になりません。
実際、なってません。

あんなに都条例の際に粉骨砕身してくださった保坂議員ひとりすら、表現規制反対派は国政に送り出すことができませんでした。これが現実です。

大事なのででっかく書きます。

メールだけで反対するのは無意味じゃないが効果は薄い

この認識でおそらく間違いないです。
効果のほどを順番に並べたら下から2番目くらいです。

議員さんに会う>>越えられない壁>>お手紙>>メール>>越えられない壁>>ネットで吠える

やはり実際に地元の議員さんにコンタクトをとってお会いして話を聞いてもらうのが一番効果的です。相当ハードル高いですけど、これはもう間違いないです。
そうしていくべきなのです。ネットではなく現実世界で動けなければどうしようもありません。
しかし現実問題として、今までネットでしか反対してこなかった二次元専門人間が、いきなり三次元化して議員さんとお話しできるのかというと、これは結構かなり厳しい話ではあります。
厳しかろうとやるしかないのですが、なにも一足飛びにLV5からLV100にレベルアップしろとは申しません、無理だし。
何事にも順序と経験値とが必要なのです。

議員さんに会えるようになるまで、無理なく段階を踏みましょう。

ゼロ段階。
とにかく議員さんとの接点を探しましょう。
ブログでも良いし、twitterでフォローして、興味のある話にコメントしたり、@で参加したり、まあ相手に対するアピールと言うより、自分のための準備運動みたいなものです。
これからこの人と知り合って、お話をする、そのための前段階です。

①さて次。まずはメールで良いです。
 ただし、いきなりお願いのメールはNGです。
 いつもブログ読ませていただいてます、○○と申します。
 これこれの考えに共感しています。
 季節柄、体調を崩しやすい気候が続きますが、ご自愛ください。
 今後の活躍をお祈り申し上げます云々 みたいなやつです。
 もちろん末尾には住所氏名等、きちんと書きましょう。


折に触れて(ブログが更新されたときとか、行事があったときとか)コンタクトを開始しましょう。

②季節の節目(暑中見舞、寒中見舞、年賀状等、一般的なもの)に、
 切手を貼ってポストに投函するハガキや手紙を書きましょう。
 それこそ時候の挨拶がメインで、
 あとは少しその議員さんが取り組んでいる政治問題に触れて、
 応援しています、というような内容でOKだと思います。
 もちろんこれも最後に、署名して住所等書き添えてください。


②を繰り返していると、特にお手紙とかだと名前を覚えていただけたりします。そして、普段からその議員さんに手紙やはがきを出すことによって、出す側の心理的ハードルが低くなります。
これは間違いないです。なぜなら手紙を書くためにその議員さんの考えていることを知ろうとします。そのためにサイトをチェックしたり、ブログを読むようになりますし、twitterをやっておられたらフォローして発言を追いかけたりします。そうすることによって、議員さんが自分の中で「知っている人」に変化していくのです。
ここまで来たら、次の段階に進みましょう。
もちろん、②と③は同時進行でもOKです。

③議員さんの報告会に参加してみよう。
 だいたいどの議員さんも、地元で活動の報告会等を行っておられます。
 最初は参加するだけでも良いと思います。
 何度か足を運んでいると自然とご本人やスタッフさんに顔を覚えてもらえたりするものです。
 そして、慣れてきたら、チャンスがあったら議員さんに話しかけてみてください。いつもありがとうございますとか、お疲れ様ですとか。もちろんどこかのタイミングで名乗る。そして名乗る。


①~③までこぎ着けたら、もう道半ばまできたようなもんです、たぶん。
もし会話が続くなら、いつもブログ拝見していますとかtwitterでフォローさせていただいてますとかね、言えばいいと思います。
で、お家に帰ったら、@を飛ばす。
今日はありがとうございました。お疲れ様です。って140字以内で。

これで二次元と三次元は接続されます。

ここまできたら、ネット上でのHN○○さんと、いつもお手紙をくれて報告会にもたまに顔を見せてくれる有権者の○○○○さんが、議員さんの中でイコールで繋がります。


さあ、この状況まで来たネット住民に、今回のような電撃法改正案が直撃したとしましょう。
もうお手紙を出す時間はありません。
実際に会いに行くか、メールするかの2択です。
とりあえずさしあたりメールをしてみましょう。
件名は本文の内容が分かる内容にして、本名も書いてしまいます。
(もちろん、末尾にも署名)

 いつもお世話になります。
 先日の報告会ではうんちゃらかんちゃら……

 さて、この度、自公が提出した法案に○○というものがありまして……

 そのための委員会が開かれ、そこで党の方針が決まるようです。
 ご都合が許すようであれば是非参加して云々……

 厚かましいお願いではございますが、時間も差し迫っておりますので是非ご検討のほど、よろしくお願い申し上げます 云々



他と同じようなお願いメールでも、実際に知っている相手からのメールだと重みが変わってくると思いませんか?
もしここでもう一歩、勇気が絞り出せたら最終段階です。

④事務所に連絡して議員さんの都合を伺い、直接お会いしてお話をする。
 メールも出させていただいたのですが、是非、お会いして聞いていただきたいのです。というようにコンタクトをとってみる。


報告会に参加してついでにタイミングが良ければお話をするとかではなく、お話をするために議員さんに会いに行くのです。
でもこれ、いきなり④は無理でも、①~③をクリアしていたら、何とかがんばれそうな気がしませんか。
まったく知らない相手に会いに行くのではないわけですから、随分ハードルは下がっていると思います。
ここまできたらもう立派な3次元です。
現実社会で動けます。

もし、その議員さんと考え方が合うようなら後援会に入っても良いでしょう。
選挙の時に都合がつけばボランティアに入っても喜ばれることと思います。
本当に感謝しているなら、後援会やボランティアは置いても選挙の時に票は差し上げましょう。
というか、名前だけで票を入れちゃう人が多い世の中です。
実際に接点がある人は自然に応援したくなると思います。

これでお互いにメリットのある関係が構築されていきます。いきなりは無理でも最初の一歩から。

一人でも多くのネット民が踏み出してくれることを願っています。

都条例を前に萎縮していく出版業界

20110422

私は都条例が可決される前、もう一つのブログで、

都の青少年健全育成条例改正案が招く表現萎縮とはどんなものか

というエントリを書きました。
条例が可決されたら、きっと誰が何を言おうと版元は萎縮してしまうだろう。
というか、自衛手段として、表現を自粛せざるを得ない状況になるだろう、というような内容です。

この条例が可決される際、

作品の芸術性や社会性などを勘案し、慎重に条例を運用する。
『不健全図書類』を指定する審議会での検討時間の確保に努める


との付帯決議が採択されましたが、果たしてこれが有効に働くことがあり得るのか。そもそも可決当時から疑わしかったのですが、疑問が確信に変わるような話が出てきました。

以下山口康隆さんのtwitterより引用します。

以下、ソースは文化通信。出版倫理懇話会で東京都青少年・治安対策本部の櫻井美香青少年課長は新条例による指定対象の可能性のあるコミックスを例示していたとのこと。(元ツイート

都によると『恋人8号』、『彼氏シェアリング』(以上2点は強姦描写のため)、『碧の季節』(強姦と近親相姦描写)、『あきそら』(近親相姦)、『花日和』、『奥サマは小学生』(以上2点は反倫理的な性交場面)の7点は施行後重版すれば指定を検討。(元ツイート

また「18禁マークが付いているコミックスは新たな指定対象にはならない。一切描くなということではない」とのこと。以上ソースは文化通信。(元ツイート

どういう事かというと、『不健全図書類』を指定する審議会での検討時間の確保に努められるはずが、その審議会をすっ飛ばして警察官僚が出版倫理懇話会(日本のアダルト系雑誌を発行する出版社を中心に加盟している業界団体)に出張り、

「この本とこの本は、条例施行後に重版したら不健全図書に指定するかもしれないよ」

と、審議会も開かれていないのに、数点の図書を名指して圧力をかけたわけです。

このほとんど脅迫まがいの例示を受けて、秋田書店は「あきそら」の重版を自粛したそうです。


流れを整理しましょう。
確かに、条例は特定図書の出版や重版を禁止してはいません。
しかし、慎重に運用されるはずの条例は出版業界への不当な圧力として利用され、結果として一つの版元は本の重版を取り止めてしまいました

これを出版社の萎縮と責められるのでしょうか。
たとえば、重版したら指定検討対象(というかほぼ指定は確実)だよと言われた本を強行突破して、印刷・配本したとしましょう。その本が不健全図書に指定されたら、まず陳列販売できない本屋さんから返本されます。Amazonは、諸説ありますが恐らくこれまでの流れだと不健全図書指定を受けた本は扱ってくれません。十分な販売経路が確保できない本は売れ残って倉庫を圧迫します。
売れなければ赤字で、その赤字を指定した都が被ってくれるわけではもちろんありません。
中小企業クラスの版元が、赤字になるとほとんど確定している本を刷るのは、はっきり言って自殺行為です。
重なれば倒産するしかない版元もあるでしょう。
つまり、その版元の社員は路頭に迷うこととなり、作家は働き口をひとつ失います。
表現の自由を守るという理想に殉じて失業する事をよしとできる人はそうそういません。

読者の買い支えも大事だし有効な手段ですが、それでもよほど気をつけていなければ当の新刊が発行されたことにすら気づけないのです。個人でできることには限界があります。

版元に戦えと言うのは簡単ですが、戦って倒産した後の責任なんて一読者には取れません
及び腰の版元をボイコットして追いつめることで、窮鼠猫を噛ませますか。
猫に噛みつく前に力尽きる可能性もないとはいえないというのに。

都条例が可決された今、この一件を皮切りに版元の萎縮は散見されると予想されます。

今、私達にできるのはそんなに多くないでしょう。
できれば版元へのボイコットはしたくない。
それって自分で自分の首を絞めているようなもんじゃないでしょうか。
するなら激励だと思います。

そして、不当な圧力をかけてきた警察官僚にこそ抗議を送るべきです。
また、都条例可決の際に付帯決議を採択した自民・民主大いに動いてもらいたい

あなた達は慎重にこの条例を運用するとして改正案を可決させた。この現状はどう贔屓目に見ても『慎重な運用』からはかけ離れている。条例の施行前からこの為体ぶりでは、施行後はどうなるのか……。ぜひとも、付帯決議を鑑みてこの状況を是正していただきたいと。
声を上げて訴えたい。


そもそも個人的な意見を言わせていただけば、愛と勇気と感動に満ちあふれた、大人が子供達に与えたいような健全キラキラの物語は、保護しなくたって誰も焚書しろとか本屋から撤去しろとか言わないから放っておいても問題ないんですよ。
好悪の分かれる、人によっては眼を背けたいような、良識に照らしたら眉をひそめたくなるような、そんな表現物にこそ保護が必要なのです。
ゾーニングは良いでしょう。
(そんなも並べ方見たこともないけど)子供向けの本の隣に裸のねーちゃんがウットリしてるような表紙が並んでて良いとは私も思いません。でも、そういった表現物が販売現場から駆逐されないよう配慮するところまでが行政の仕事じゃないのかとも思うのです。
管理人プロフィール
どこにでもいるような本読み。数年前に社会人になったときに、本の値段は見ずに買うことを誓いました。auのISO5が早く欲しいです。

アキミ

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